妊娠中の騒音は赤ちゃんの耳に悪い?──むしろ『早く育つ』という意外な可能性


産科外来でよく聞かれる質問のひとつに、「妊娠中に騒がしい職場で働き続けても、赤ちゃんの耳に影響はないですか」というものがある。工場、保育、飲食、コールセンター、建設現場──女性の働く場が広がるほど、この問いは身近になっていると思う。

これまで私は「強い騒音は避けた方がいい」という一般論で答えてきた。だが、胎児の耳が子宮の中でどんな音を浴び、それが生まれたときの聴力にどう跳ね返るのか、ちゃんとしたヒトのデータは少ない。トルコ・トラキヤ大学のこの研究は、妊娠中の職業性騒音と新生児聴力スクリーニングの関係を2,653人で調べた珍しい報告である。

研究の設計

対象は2013〜2017年にトラキヤ大学病院で生まれ、聴力低下のリスク因子(TORCH感染、家族歴、早産、薬剤曝露など)を持たない2,653人。母親が妊娠中に8時間/日・週5日・80〜85dBAの職業性騒音下で働き続けた新生児65人を曝露群、それ以外の2,588人をコントロール群とした。曝露群の母親は平均32.58週まで働いていた。

聴力評価は2段階。まずOAE(耳音響放射)、通らなければ15日後に再検、それでも通らなければABR(聴性脳幹反応)へ進む。OAEは内耳(蝸牛の外有毛細胞)を、ABRは聴神経・脳幹までの経路を見る検査だ。日本の新生児聴覚スクリーニングは最初からAABR(自動ABR)を使う方式で、OAEから入るトルコ式とは入り口が違う。この研究では段階的に評価する。

悪影響は見られない

最終的にパスした割合は曝露群98.46%、コントロール群99.26%で、差はなかった(p=0.392)。妊娠中に80〜85dBAの騒音を浴び続けても、生まれた赤ちゃんの聴力に悪影響は検出されなかった。母体の皮膚、皮下組織、子宮壁、羊水、胎児の中耳を満たす液体──これらが重なって音を減衰させる、というのが著者の解釈である。

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意外だったこと

おもしろいのは、曝露群で一番最初の検査(OAE1)の一発合格率が高かった点だ。

  • 曝露群:35.4%
  • コントロール群:17.7%

差はp=0.00001。一発合格率がほぼ2倍である。

著者らは控えめに、「妊娠中に80〜85dBA程度の騒音に曝されることが、胎児の聴覚成熟を促している」という仮説を提示している。生後すぐ外界の音に反応できるには、胎内で音刺激を受けておく必要がある、という話だ。

音で耳が育つ

この「育つ側」の話は、周産期の神経発達を考えるうえで示唆に富む。論文中で引用されているWebbら(2015)の報告では、母親の声と心音を早産児に聞かせるだけで、聴覚関連脳領域の発達が促されていた。胎児期から新生児期の脳は、ただ守られているのではなく、外からの音刺激をテンプレートに聴覚ネットワークを組み上げているらしい。

40Hzの感覚刺激でアルツハイマー病患者の脳ネットワークが立て直されるという前回の話(GENUS)と、方向は逆だが原理は近い。

低音域は羊水を通してもあまり減衰せず、胎児の内耳に届く。胎児はこの低周波成分を足がかりに内耳や聴覚中枢を育てている、という示唆が動物実験からも出てきている。我々も子宮内で胎児がどんな音を聴いているのかを研究しており、この仮説は今後の議論の軸になりそうだ。

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臨床で伝えるとき

ただし、この論文を「騒音は安心です」と単純化するのは危険だ。限界が二つある。

一つは、新生児スクリーニングが1〜4kHzの範囲しか評価していないこと。低周波(<1kHz)や高周波(>4kHz)の損傷は拾えない。「スクリーニングで引っかからなかった」だけで、「細かく見ても正常」とまでは言えない。

二つは、85dBAを超える環境まで安全と言っているわけではないこと。100dB以上の繊維工場で働いた母親の子どもに高音域難聴が増えた、という過去の報告もある。WHOや各国の労働基準も85dBA以上の長時間曝露には警告を出している。安全な騒音レベルは、時間×強度×周波数の組み合わせで決まる。

それでも、「80〜85dBAという日常的な音環境では、胎児の聴力に悪影響は出ず、むしろ成熟を促す」という結果は、働く妊婦への説明材料として実用的だ。騒がしい環境で過ごすことは、赤ちゃんの耳の育ちにマイナスではない──不安を抱えて外来に来る母親の助けになるのではないかと思う。

音は「守る」だけでなく「育てる」

胎内環境を考えるとき、これまでは「刺激から守る」という発想が強かった。騒音、アルコール、タバコ、有害化学物質──危険なものから胎児を隔離するということだ。

だが音については少し違う見方が要る。胎児は沈黙の中で育つのではなく、母親の心拍、血流音、声、外界の低周波成分に浸かって成長している。音環境は守るべき外敵ではなく、育つための素材──そう捉え直すほうが、胎内の生理にフィットする。

音を「リスク」として管理する時代から、音を「栄養」として設計する時代へ。産科の現場からこの転換に立ち会えるのは、面白いと思う。

参考文献
Guven SG, Taş M, Bulut E, Tokuç B, Uzun C, Karasalihoglu AR. Does noise exposure during pregnancy affect neonatal hearing screening results? Noise Health. 2019;21(99):69–76. doi:10.4103/nah.NAH_18_19