お腹の中はどんな音?──腸のゴロゴロが主役だった
産科医として、妊婦さんから「お腹の中で赤ちゃんは何を聞いてるんですか?」と聞かれることはとても多い。胎児が母体内で浸かっている音環境は、聴覚や脳の発達に効いてくるだろうという予感は誰もが持っている。ただ、実際に妊娠中のお腹の中でどんな音がどのくらい鳴っているのか──これを丁寧に測った論文は意外に少ない。
カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で実施された本研究は、妊婦さん50人のお腹に電子聴診器を当てて、胎内音を直接録音し、その音響特性を詳細に解析した研究だ。これは私たち自身がまさに取り組んでいる「胎児が聴いている音とその意味」というテーマに直接重なる。読んでいて得るものが多かった。
電子聴診器4つで、3姿勢・2分ずつ
対象は妊娠13〜40週の妊婦50人と、比較用の非妊娠女性5人。お腹の4カ所(右上・右下・左上・左下)に電子聴診器を同時に貼り付けて、立位・座位・仰臥位の3姿勢で各2分ずつ録音している。
解析は長時間平均スペクトル(LTAS)という手法で、音の周波数成分を3帯域(低音10-100Hz、中音100-500Hz、高音500-5000Hz)に分けて、妊娠週数との関係を見ている。
子宮は「低音を通す」フィルター
まず大きな結果として、妊娠週数が進むほど、中音域と高音域のエネルギーが有意に減衰していくことが示された。一方で低音域(10-100Hz)はほとんど変わらない。つまり、お腹が大きくなるにつれて、外界の音のうち低音だけが胎児まで残り、中音・高音は母体の組織や羊水で吸収されていく。
もう一つ面白かったのが、お腹は共鳴箱として振る舞うということ。スペクトルを細かく見ると規則的なピークとバレーが出ており、腹腔の大きさと形に応じて特定の周波数が増幅される。姿勢を変えると共鳴周波数が動く(座位で約81Hz、立位で約166Hz)という結果も示されていて、胎児が聴いている音は母親の姿勢次第で微妙に色を変えていることになる。

主役は心音ではなく、腸の音
この論文で一番印象的だった発見が、胎内音の最も大きな構成要素は母親の腸の音だったということ。
一般的には「胎内音=心音」というイメージが強い。市販のグッズも心音系が多い。しかし実測してみると、最も目立つのは腸蠕動による不規則な「ポコポコ」「ゴロゴロ」の爆発音だった。その発生間隔を解析すると、おおよそ0.2秒ごとに1回のポップ音があり、主要モードは0.5秒、副次モードは0.25秒という半不規則なリズムを刻む。ポアソン分布に近い、つまり「いつ来るかわからないけど頻繁に鳴っている」音だ。
これは胎児にとって常時のBGMと言ってもいい。心音のような規則的なリズムではなく、不規則に高頻度で鳴る低周波パルスが、お腹の中のサウンドスケープのメインだった。
市販の「胎内音」は全然違う
著者らは同時に、Amazonなどで人気の市販の「胎内音」商品4本を比較解析している。
結論は、実録音と市販音は、スペクトルも波形も似ていなかった。市販品は高音域の成分が多く、腸音のような不規則なポップ音はまったく含まれず、規則的なビート的ノイズが中心。要するに「胎内音っぽく聞こえる人工ノイズ」であって、実際の胎内音とは別物だ。
NICUで早産児に「胎内音」を聞かせる試みは世界中で行われているが、もし本当に胎内環境を再現したいなら、市販品ではなく、低周波と不規則な腸音を含むスペクトルを使うべきというのが著者の主張だ。
我々の研究との接続
この論文が我々の研究にくれた示唆は大きい。胎児が聴いている音の正体が「低周波を中心とした、腸音という不規則なパルスが主役のサウンドスケープ」だとわかれば、次に問うべきは「この音環境が胎児の神経発達にどう効いているか」になる。
過去の話題で触れたように、40Hzの光と音で認知症の脳ネットワークが整う(GENUS)、80〜85dBAの音環境で新生児の聴覚成熟が促される可能性がある(Guven 2019)──これらはすべて外からのリズム刺激が脳のネットワークを整えるという共通テーマに繋がる。胎内音の主成分が低周波と不規則なパルスなら、そこには胎児の聴覚系・自律神経系のテンプレートとして機能している可能性がある。
我々の研究でも胎児が子宮内で聴いている音の周波数のうちどれが重要かを検討しているが、今回の論文のように「実際に何が鳴っているのか」を精密に記述した仕事は、私たちの仮説を具体的な周波数帯にマッピングするうえで重要な土台になる。

雨音で安心するのは、もしかすると胎内の記憶かもしれない
この論文を読みながらずっと引っかかっていたのは、「雨音を聞くと安心する」のはなぜかという、誰もが経験する素朴な現象だ。
雨の音は、完全に規則的でも完全にデタラメでもない。一粒一粒は独立に落ちているのに、全体としては統計的に安定している。これは音響の世界では1/fゆらぎ(ピンクノイズ)と呼ばれる性質で、自然界の心地よい音──雨、波、焚き火のはぜる音、川のせせらぎ、蝉の合唱──の多くに共通する特徴だ。
そして今回の論文が示した腸音のポアソン分布は、まさにこの「不規則だけど統計的に安定している」クラスの揺らぎに該当する。胎児は10ヶ月間、このポアソン的な低周波パルスの中に浸かって育つ。
そう考えると、大人になって雨音を聞いたときに自律神経が鎮まるのは、胎内で最初に出会った音のパターンに、脳が反応しているからなのかもしれない。始まりの脳がテンプレートとして刻み込んだ揺らぎの構造が、一生を通じて「安心する音」の基準になっているのかもしれないと思った。