70Hzの低周波が血管内皮のnitric oxide(NO)産生を変化させるというDengら(2022)の研究は、音の振動が血管に物理的・生化学的に作用する話だった。この論文は毛色が違う。どんな感情を引き起こす音楽かで、血管の反応が逆向きになる。
米メリーランド大学のMillerらは、非喫煙で血圧・脂質が正常なボランティア10名(男性7、女性3、平均35.6歳)に、喜ばしいと感じる音楽、不安を煽ると感じる音楽、笑い動画、リラクゼーション音声テープの4条件を各30分間与え、上腕動脈の血流依存性血管拡張(FMD、血管内皮の働きを見る指標)を超音波で測定した。4条件は無作為な順序で1週間以上あけて行い、被験者は試験前2週間はその曲や動画に触れないよう求められた。被験者が自分で選んだ刺激を使うのが特徴で、この曲で気分が上がる、落ちる、と本人が認める曲に絞っている。
結果は逆向き
主要アウトカムのFMD(%)は次のとおり。
- 喜ばしい音楽:10.12% → 12.78%(+2.7%、p<.001、10人中9人で増加)
- 不安を煽る音楽:10.65% → 10.04%(群内では有意でない[p=.37]が、喜ばしい音楽の効果と比較すると有意に低い[p=.005])
- 笑い動画:10.68% → 12.73%(p=.08)
- リラクゼーション音声:10.58% → 11.72%(p=.46、非有意)
同じ音という刺激でも、気分がポジティブに振れるかネガティブに振れるかで、血管内皮の応答が分かれた。喜ばしい音楽ではFMDが上がり、不安音楽では同じ被験者でその効果が打ち消される方向に出た。
血管内皮はNOを産生して血管を広げる。FMDの低下は糖尿病、脂質異常、喫煙、高血圧のほか、精神的ストレスやうつでも報告されており、著者らは心理社会的ストレスによる冠動脈疾患リスクの一部を内皮機能障害で説明している。その内皮が、気分が上がる音楽を30分聴いた後と沈む音楽を30分聴いた後で逆方向に変化した。著者らは2.7%という効果量を有酸素運動やスタチン治療と同等のオーダーだとしている。驚いた。
ただし10人、各30分の急性効果で、臨床的な意味は今後の研究が要ると著者らも書いている。FMDの測定がカフ解放1分後の1点で、最大の拡張を捉えきれていない可能性も限界として挙げている。
音から血管への2系統
音楽と身体の研究の多くは、血圧や心拍数、不安の軽減をエンドポイントに置く。Millerらが見たのはその一歩手前、血管内皮が音楽の感情価に応答するかどうかである。
Dengら(2022)と合わせると、音から血管への影響は2系統あることになる。
- 直接系:低周波の物理的振動が血管壁に作用し、NO産生を変化させる
- 感情系:音が感情を引き起こし、内皮機能を変化させる。著者らは機序の候補として、βエンドルフィンを介した内皮NOの活性化を挙げている(精神的ストレスで血管収縮物質のエンドセリン-1が出るのと逆向き)
我々は音と妊娠・胎児の関係を研究している。胎児はまだ楽しい、怖いの評価ができないはずで、音の感情的な色合いは重要なのかと考えていた。母親側の血管内皮機能が聴いている音楽で分単位に変動するなら、母体の感情を介して胎児循環に及ぶ経路がありうる。妊婦が普段聴いている音楽の影響は、この2系統を分けて評価する必要がある。
臨床で伝えるとき
- 楽しい気分になる音楽は、気分だけでなく血管内皮の反応(FMD)を上げる(+2.7%、有酸素運動やスタチンと同等のオーダーと著者ら)
- 不安を煽る音楽は、喜ばしい音楽と比べて血管反応を有意に下げる方向に働く。直接血管を縮ませるとまでは言えないが、ポジティブ刺激の利益を打ち消す
- 好きな曲の効果は、薬ほどの効果量ではないが、毎日繰り返せて、副作用がなく、費用がかからない
産科外来では「妊娠中はストレスを減らしてください」とだけ伝えがちだが、心地よい音楽を意識的に聴く時間を持ってください、というもう一歩具体的な助言に変えてもいいかもしれない。